421 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2009/10/26(月) 22:04:01 ID:Tr9/N4t20
充にとっての人生って、『宝探しゲーム』みたいなものではなかろうか。
探す場所や掘り方を工夫すれば、いろんな宝物が手に入る。
当然ながら上手い下手もあるが、それなりの労力を注ぎ込めば
それに見合った対価=宝物が手に入る。
つまり、宝物を持っていない=労力を支払っていないと認識される。

しかし、喪にとっての人生は『地雷探しゲーム』。
掘っても掘っても出てくるのは地雷だけ。
そのままにして放っておくと、地雷を踏んでしまい被害を被る。
それを避けるためには、地雷を探し出して処理するか、そこから一歩も動かないか。
地雷を見つけ出したところで、何もリターンはなく、地雷を踏まずに済む。
ただそれだけ。
しかも、地雷を掘り出したからといって、それが爆発しないという保証はない。
一歩も動かなければ、地雷を踏むことはないが、行動範囲が全く広がらず、狭くなる一方に。
しかし、不毛な無間地獄からは解放される。
ある程度の行動範囲を得るために地雷を探すか、リスクを恐れジッとその身を縮めているかの
2つしか選択肢はない。

『地雷探しゲーム』のプレイヤーは、自分たちと『宝探しゲーム』のプレイヤーは
全く違うゲーム、違うルールなんだと分かっているが
『宝探しゲーム』のプレイヤーは、『地雷探しゲーム』のプレイヤーも
自分と同じゲーム、同じルールだと思っている。
「お前もミスを怖がらずにどんどん掘れよ」と煽ってくる。
「掘れば宝物を見付けられるんだから」、「お前は探し方が下手なんだ」、「もっと努力しろ」と。
その説教が、『地雷探しゲーム』のプレイヤーの目線に下りてくることはありえない。
だって、『地雷探しゲーム』なんてものがあるなんて思ったことすらないんだから。

そして、自分がプレイしているのは『地雷探しゲーム』なのに、それを『宝探しゲーム』だと勘違いしているのが鯛。