30 :蛍光ペン(兵庫県):2010/01/12(火) 18:49:22.62 ID:4CKr9vQg
イラン・イラク戦争が勃発した1985年3月17日。
イラクのサダム・フセインが
「今から40時間後に、イラクの上空を飛ぶ飛行機を打ち落とす」
ということを世界に向かって発信した。
邦人がテヘランに取り残された。
JAL(当時は日本国の国営航空だった)は、
労働組合が「安全が保証されない」とフライトを断固として拒否。

日本政府の要請を無視した。
日本政府は邦人救出の手段を失った。
母国のエアラインに見捨てられた邦人は絶対絶命の情況に。
世界各国のエアラインが続々と自国民を乗せてテヘランを飛び去っていく。

あと四十時間で無差別攻撃が始まる・・・・・ と、そのときだった。
1機の飛行機が日本人救出のためだけに危険を犯して戦争状態のテヘランに飛来した。
トルコ航空機だった。
歓喜の声があちこちからのぼった。「トルコ航空が助けに来た!」
日本人だけ250人を乗せたトルコ航空は決死のフライト。
イラクがテヘラン攻撃を予告した2時間前の間一髪の救出劇だった。
飛行機はイラン国境を脱出、トルコ領空に入った。

機長がアナウンスする:「日本人のみなさん、トルコにようこそ!」
日本人乗客はみな涙を流した。
後に小泉首相はこの老機長をわざわざトルコ訪問の際に招いて感謝の意を直接伝えた。