659 名前:590へ[sage] 投稿日:2009/08/09(日) 01:26:45 ID:1T59a3x30
2002年07月09日(火)

小川さんの鞄から、
日商簿記三級の試験問題集がのぞいているのを目にする。
経理課に所属しながら、ふだん雑用ばかりをやらされている小川さん。
でも、本当は、真剣に経理の仕事がやりたいのかもしれない、
と使い込んでくたびれた小川さんの鞄を見ながら、あたしは思う。

10時半から、あした支給される賞与の、
明細の授与式が行われる。
それぞれの課の人ひとりずつが、
順番に社長室に行って明細を受け取る。
もちろんあたしは、アルバイトなので賞与はもらえない。

経理課は、部長、課長、山田さんの順番で、
社長室に明細を取りに行く。
山田さんが帰って来たので小川さんが立ち上がると、
大宮部長から小川さんは行かなくていい、と言われる。
本人は一瞬なんのことかわからない様子で、
えッ!? といった表情で固まる。
部長は、そんな小川さんのことなどお構いなしに、
黙々と自分の仕事を続ける。

立ち尽くす小川さんの横を、
営業の人たちが順番に社長室に向かう。
小川さんは、子供が迷子になった時のような不安な表情を浮かべて、
音を立てずに静かに席を離れる。
11時になっても、12時になっても、
小川さんは自分の席に戻って来ない。


660 名前:名無しさん@引く手あまた[sage] 投稿日:2009/08/09(日) 01:27:26 ID:1T59a3x30
どこに行ったのかと台所を覗くと、
小川さんは泣きながらみんなの湯のみ茶碗を洗っている。
小川さん、と思わず声をかけると、
驚いて振り返る。
涙を流しながら無理に笑って、
あたし、ボーナスもらえないみたいね、
と小さく呟く。

べつに小川さんが仕事をサボっているわけじゃない。
経理の仕事をしないわけじゃない。
与えられたことはきちんとこなして、
それにプラスしてみんながやりたがらない雑用をやってくれる。
それでも空いてしまう時間は、
みんなの茶碗を洗ったり、
台所の掃除をしたり、
みんなが働きやすいような環境を整えてくれる。
もし、それが評価の対象から外れるなら、
小川さんに評価に値する仕事をさせればいい。
ろくな仕事もさせないくせに、
小川さんだけボーナスをあげないのはおかしい。

そうあたしが怒った所で、
小川さんに賞与が払われるわけじゃない。
でも、すごく頭に来るし、
こういったいじめのようなやり方は、
人間としておかしいと思う。


661 名前:名無しさん@引く手あまた[sage] 投稿日:2009/08/09(日) 01:28:06 ID:1T59a3x30
どうして世の中ってこうなの。
なんで大人ってこんななの。
やさしくて弱い者を、
利用するだけして傷つける。
大の男が、小川さんの心を踏みにじる。

むしゃくしゃして、
暑さにイライラして、
あたしは怒りに震えながら渋谷に向かう。
どうか、プライドの高そうな男よ声をかけて。
女なんて、と見下すような男よあたしを誘って。
そうしたらあたし、抱かれたあとで、
ヘタクソ、と言って男のプライドを傷つけてあげる。


662 名前:名無しさん@引く手あまた[sage] 投稿日:2009/08/09(日) 01:28:47 ID:1T59a3x30
2002年07月10日(水)

始業時間ちょうどに、部長のもとに電話が入る。
かけて来たのは小川さん。

突然で申し訳ありませんが、
今日付で退職させてください。

と、小川さんは言ったという。

親元を離れ、結婚もせず、
ひとりで暮らしている小川さん。
あしたからどうやって食べて行くんだろう。

台所には、ピカピカに磨かれたみんなの湯のみが並んでいる。
それは、小川さんが泣きながら磨いた最後の作品。

台風が近づいている。

雨が降り続いている。

空よ、

しばらくは、

彼女のために泣いてくれ。