213 名前:例えばこんな日本びいき[sage] 投稿日:2012/02/10(金) 22:10:03.65 ID:fE5uAYB/
100年前の誓いの金貨

一昨日、2月8日は日露戦争が始まった日です。
1904年(明治37年)2月8日。日露戦争ははじまりました。この戦争では、
日本がロシアの捕虜に人道的かつ寛大な対応をしたことで知られています。
ロシア兵の捕虜収容施設が日本各地に作られましたが、中でも、愛媛県松山市の
俘虜収容所は有名。

瀬戸内の気候は温暖。人の心も優しい。
そして、捕虜の外出は自由。温泉に入ることも可能で、既婚者の将校は
ロシアから妻を呼び寄せ、一般家屋に住むことまで許され、市民との交流も盛んでした。

『捕虜は罪人ではない。祖国のために奮闘して破れた心情をくみとって、
一時の敵愾心にかられて侮辱を与えるような行為はつつしめ』
これは当時の愛媛県が県民にあてた勅諭。
松山は捕虜にとって、楽園のような場所だったのです。

この話は、母国から前線の兵士にも伝わり、降伏・投降する際には
「マツヤマ、マツヤマ」と日本軍に叫ぶロシア軍兵士が続出したといいます。

日本赤十字社もロシア人負傷兵の救済に尽力。
病院に収容されていたロシアの負傷兵の多くは、献身的な日本人看護婦に
恋心を抱いたとか。

そして、2010年の松山市。

松山城の二の丸にある防火用水を兼ねた古井戸より、表面にロシア語とカタカナが
刻まれたコインが見つかりました。1899年製造のロシアの10ルーブル金貨です。


214 名前:例えばこんな日本びいき[sage] 投稿日:2012/02/10(金) 22:14:39.20 ID:fE5uAYB/
ロシア語は人名で「M・コスチェンコ」。カタカナは「コステンコ・ミハイル」
それに「タチバナカ」と読めます。

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調査が進められました。
「コスチェンコ氏」は、当時24歳の歩兵少尉だったそうです。
では、「タチバナカ」も名前でしょうか?「橘力」ならば日本人の男性です。
そのため、当初、このコインは、「日本人男性と将校との友情の証ではないか」との
推測がなされていました。

私が計算してみたのですが、当時の10ルーブル金貨の価値は、現在の
日本円で25万から30万円程度になるようです。
よほどの覚悟がないと、井戸に投げ込める額ではありませんよね。

さらに資料が調べられましたが、当時の捕虜収容所の関係者に該当しそうな
人物は見つかりません。その後、「チ」と思われていた文字が、「ケ」ではないかとの
指摘がありました。
そうなると刻まれていたカタカナは「タケバ ナカ」です。


215 名前:例えばこんな日本びいき[sage] 投稿日:2012/02/10(金) 22:22:15.82 ID:fE5uAYB/

その名前で探した所、該当者が見つかりました。

当時の日本赤十字社の看護婦で、捕虜収容所に勤務していた「竹場ナカ」さんです。
さらに、1904年の海南新聞に二人が恋愛関係であったことや、その後、
別れざるを得なくなったことをうかがわせる記述が見つかったのだそうです。

それにしても、この金貨は、どのような状況で投げ入れられたのでしょうか。

若きロシア将校が、帰国の直前、異国の恋人との再開を自分に誓って投げ入れたか?
それとも、引き裂かれる運命の二人が、手を取り合って投げ入れたのか?

色々と想像のかきたてられるところですが、故人のプライバシーに配慮して、
それ以後の調査は控えられたとのこと。

ちなみにこの話をテーマにしたモニュメントが作られ、地元の劇団が、
演劇を定期的に開いている模様。
松山に行く機会がある方は、足をのばしてみてはいかがでしょうか?



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